ASD長男の小学校日記

2024年4月から特別支援学級に通う自閉スペクトラム症の息子の母のキロク

2024年4月1日|”インクルーシブ”の言葉にモヤり

自閉症長男、就学までの記録】を読んでくれていた人は、何度もきいたよって話かもしれないんだけど。

特別支援学級に在籍していても通常級で過ごす子どもたちがいる大阪の教育。

大阪の教育は「ともに学び、ともに生きる」を方針とし、独自のインクルーシブ教育を進めてきた。

私自身も、小学生の時にクラスにダウン症の女の子がいて、4年間一緒に過ごした。ときどき、当時で言うところの「養護学級」に行って授業を受けるときもあったが、ほとんどを私たちと一緒に過ごした。

その子は、あくまでも私の記憶と想像の限りだけど、知的障害はそこまで重くなかったと思う。会話もある程度普通にできたし、字も書けた。音読もできた。集団への一斉指示もある程度理解して行動できていた。

他の子と比べたら苦手なことは多かったのだろうが、細かいことは覚えていない。他にも、あくまでも想像だけど、LDであろう子もいたし、ADHDであろう子もいたし、境界知能の子もいたから、ダウン症の子だけが特別劣っているとは感じていなかった。

 

正直、ダウン症のことはよく知らない。

21番目の染色体が、といったざっくりしたことは知っているが、それは大人になってからの後付けの知識。小学生のときに彼女の障害のことについて説明されたことはなかった。

でも、ダウン症の子を街で見かけると、彼女のことを思いだして勝手に親近感を持つ。なんだか嬉しくなる。あぁ、そこにいるんだって。

私のこの気持ちは、まぎれもなく大阪の「ともに育ち、ともに生きる」教育の成果だと言えよう。

 

彼女は中学校から特別支援学校にいったので、その後のことはわからない。ときどき、母が「〇〇ちゃん見かけたよ。すごいおしゃれしてニコニコしてたよ」と教えてくれる。幸せに生きているなら、嬉しい。

 

彼女は彼女だとありのまま受け入れていたのは事実ではあるが、4年間ずっと彼女に対してポジティブな感情を持ち続けていたわけではない。

それに、クラス全員がそう思っていたかと言われると、そんなことはなかった。

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